「あいつとララバイ」連載からクルマと走り続けてきた楠みちはる。クルマとマンガと40年の軌跡―。


首都高に上がるのはバイト時代の名残り。新人時代『シャコタン☆ブギ』の思い出

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1980年春に、東京に出てきました。もちろん漫画の仕事など無く、本業はバイトです。競馬新聞の配送で首都高をバイクで走るわけです。週に4日、アパートで投稿漫画を描き、残り3日はバイトで走る。81年夏に少年マガジンで連載が始まってもバイトはそのまま。当時の新人は人気がないと単行本1巻(9本)で打ち切りなので、バイトをヤメるのはもったいなかったのです。


この時はアシスタントはいません。6日かけて一人で描き、残り1日はバイトで首都高を走ります。人気が出て連載は続くコトになりバイトはヤメますが、原稿が上がると首都高に上がるクセはそのまま。


83年ごろからバイクがクルマになり、時間があると横浜まで。当時ベイブリッジはまだ無く、横羽線(ヨコハネ)は横浜公園が終点。すぐ先の深夜のデニーズでコーヒー飲んで帰るのがパターンでしたね。いつも一人です。漫画家は孤独ですから。


バイトの時から始まって、80年代は、東京の道=首都高でした。首都高はトバしても面白いけど流してもイイんですよ。特に横羽線は流すと気持ちがイイ。アイデアがバンバン浮かんで「オレって天才なの」って。でも家に帰ると、ほとんど忘れちゃってて。


ちなみに首都高横羽線は羽田線と横浜線の総称ですが、なぜか当時、大田区あたりの人は羽横線と言ってました。「ヨコハネ」と言うと「ハネヨコだろ」と必ず訂正してきます。『シャコタン☆ブギ』の第1話が浮かんだのも84年の横羽線でしたね。ハネヨコ? いやあヨコハネでしょう(笑)。


新車を買う。そして描く。『湾岸ミッドナイト』の思い出

 『湾岸ミッドナイト』が始まったのは90年2月です。最初は、連載ではなく読み切りシリーズでした。当時、ポルシェ911には何度か乗せてもらったけど「モノのわりには高い」。コレが正直な感想でした。でもカタチはいい。特にターボモデル。ブチ抜かれても後ろ姿にホレボレしました。


このころポルシェは経営が厳しいと言われてて、モノのわりには高いのに意外と儲けてないわけです。自分のクルマから見てカッコいいから911ターボを描き、そして32GT‐Rを描いてました。91年秋のモーターショーで911RSを見て買おうと思いました。自分の金で新車を買おう。ポルシェに利益を与え、そして仕事として好きなように描かせてもらおう。


 32GT‐Rもそう、新車で買って好きなように描かせてもらおうと決めました。自分のクルマから見るクルマではなく、自分のクルマにしようと。

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『湾岸ミッドナイト』は80年代のS30Zへの想いからスタートしましたが、それにブーストをかけ加速させたのは90年代の911GT‐Rです。


ちなみにRX‐7も新車で買いたかったのですが、毎年、広報車などに乗せてもらってるうちに買いそびれて生産終了。あわてて中古車を探したら、値段のコナれたノーマル車が見つかり「コレはお買い得、やっぱ中古車は面白いナ」。あれ? ‥‥すみません、マツダさん。

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