連載期間18年の間にコミックス全48巻を刊行し、一大ブームを巻き起こしただけでなく、現在も読まれ、そしてさまざまな角度から検証され続けて、ファン層を拡大しつつある怪物マンガ『頭文字D』。
同作品に登場したクルマたちの世界観と魅力を読み解いていく本連載。今回は、自動車業界において花形である「FR」という駆動方式を持つ4ドアセダン、アルテッツァを取り上げる。作中ではハチロクに惨敗を喫したものの、FRセダン復権の一翼を担うべく生まれた同車の魅力を振り返ろう。
文/安藤修也 マンガ/しげの秀一
■第1回 佐藤真子の愛車「日産 シルエイティ」編
■第2回 中里毅の愛車「日産 R32型スカイラインGT-R」編
■第3回 須藤京一の愛車「三菱 ランサーエボリューションIII」編
■第4回 小柏カイの愛車「トヨタ MR2(SW20)」編
■第5回 二宮大輝の愛車「ホンダ シビックタイプR編」
■第6回 高橋啓介の愛車「マツダ RX-7(FD3S型)編」
■縦横無尽に走るFRセダンとして
トヨタ アルテッツァ(1998-2005)/全長4400×全幅1720×全高1410mm、エンジン:2.0L 直列4気筒DOHC(200ps/22.0kgm)、価格:224万円(RS200)
2021年現在、クルマの駆動方式は多種多様に存在しているが、こと走りにおいては、どれが優れているとは一概に言い切ることはできない。後席が犠牲になるMRはともかく、4WDはスーパーカーでも主流になっているし、FFでもスポーティな走りを味わえるモデルは生まれているからだ。
しかしFRは、ハンドリングや前後重量バランスなどで、他の駆動方式では味わえない特筆すべき魅力を備えている。
FRの存在感が際立った時期がある。1990年代末、トヨタとホンダがFRの新型車をリリースするというニュースが囁かれたのだ。当時、筆者はベストカー編集部に在籍していたのだが、スペックやスタイルなどが判明するたびに、それはもう大騒ぎの毎日であった。
グーネットなどの中古車サイトを覗いてみると、セダンということが幸いしてか、相場はそれほど高騰していない。ただし、スポーツモデルという性質上、荒く扱われた車両も多いので、物件選びには細心の注意が必要となる。
さておき、この両車は後のアルテッツァとS2000であったが、2シーターオープンというスペシャルな立ち位置のS2000はともかく、アルテッツァは登場前からFRセダンの再興という重責を担う存在として期待されていた。
そして実際に蓋を開けてみれば、FRとしての走りの魅力は健在であった。必ずしも圧倒的な加速力を持っていたわけではなく、馬力が突出しているわけでもない。しかし、前後ダブルウィッシュボーンを採用した足まわりは軽やかで、颯爽と走った。
峠道まで行かなくとも街中を走るだけで俊敏性が感じられ、セダンとは思えない動き出しのよさがあった。アルテッツァは、シンプルにFRという駆動方式を楽しめるモデルだったのである。
■時代を意識させられるバトル
『頭文字D』の作中でアルテッツァを操るのは、西埼玉の某チームを率いる秋山延彦。クレバーな男だからか、主人公・藤原拓海の操るハチロクを前にして、バトル前から勝利する気持ちがない。
後方からハチロクの走りを眺めながら走ることで、次に控える埼玉第二ラウンドにつなげようという。ロマンチックさのかけらもない結論だが、アルテッツァは最初から勝負を捨てていたのだ。
当然、バトルがスタートしてもアルテッツァの走りには精彩がない。実際はデビュー時に「ハチロクの再来」「ハチロクの走りを継ぐスポーツセダン」などと喧伝されたアルテッツァに対して、これではあまりにも無慈悲ではないかとFRセダンファンの嘆く姿が眼に浮かぶようだ。
しかし、これまでスペック的に勝る相手に対して勝利を収めてきたハチロク側の視点に立ってみれば、やはり4ドアセダンはAE86に対して重かったのだろう。
延彦のマシンにカリカリのハードチューニングが施されていたというなら話は別だが、そういうわけでもなさそうである。運動性能という意味では限りなくFRセダンの頂点にまで上り詰めたアルテッツァだったが、そのFRのルーツたるモデルに敗れるべくして敗れたのだった。
ただしバトル中、スタートからハチロクがスパートをかける第一ヘアピンまでの区間は、ハチロクとアルテッツァとのランデブー走行が見られる。3ドアハッチバックと4ドアセダンという違いこそあれ、トヨタ製FRの歴史を受け継ぎ、牽引してきた2台が縦列に並んで走る姿からは、勝敗を抜きにして、時代ごとのスタイリングの妙や自由度、進化などを意識させられる。
■数奇なモデルライフがもたらしたもの
アルテッツァのデザインは決して革命的なものではなかったが、トランクリッドに配置された丸型のリアライトに関しては、見る人に強烈なインパクトを与えた(もちろん今見るとそれほど過激とは感じられないが..)。
まるで同時代のセダンの指標のようにセンス良くまとめられたフロントまわりからすると、それはなかなかぶっ飛んだものだった。
1998-1999の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、2代目モデルが発売されることはなく、ブランド名も販売店も、走りの味付けさえ異なるレクサス ISにその跡を譲る形で、2005年に新車販売を終えることとなったアルテッツァ。
まるでそのリアデザインのように破天荒で数奇なモデルライフを送ったが、販売終了から15年が経った今では、カーマニアから支持され、ファンを生み出している。
年々クルマのメカニズムが複雑化していくなかで、駆動方式というのはすでに出揃っており、FRの特性や優位点というものは大きく変化していない。それでもFRのセダンとなると、現在、国産メーカーではトヨタと日産しか生産していない。
コストや効率が重要視される現代において、車種数こそ減ったものの、FRセダンが今もファンから評価され、求められ続けているという事実は、アルテッツァの存在が無ければありえなかったはずだ。
輝かしい魅力を備えていたが、時代的に不運の陰も付き纏ったアルテッツァ。もしも同車に2代目モデルが誕生していたら、はたしてFRセダンの歴史はどう変わっていたか。これからも、カーマニアたちの妄想が尽きることはないだろう。
※この記事はベストカーWebの記事を再編集したものです。