連載期間18年の間にコミックス全48巻を刊行し、一大ブームを巻き起こしただけでなく、現在も読まれ、そしてさまざまな角度から検証され続けて、ファン層を拡大しつつある怪物マンガ『頭文字D』。
同作品に登場したクルマたちの世界観と魅力を読み解いていく本連載。今回、第10回にしていよいよ登場するのは、主人公の愛車であるスプリンタートレノだ。同作中では初となる“ある演出”がオリジナルな世界観を醸し出す。
文/安藤修也 マンガ/しげの秀一
■第1回 佐藤真子の愛車「日産 シルエイティ」編
■第2回 中里毅の愛車「日産 R32型スカイラインGT-R」編
■第3回 須藤京一の愛車「三菱 ランサーエボリューションIII」編
■第4回 小柏カイの愛車「トヨタ MR2(SW20)」編
■第5回 二宮大輝の愛車「ホンダ シビックタイプR編」
■第6回 高橋啓介の愛車「マツダ RX-7(FD3S型)編」
■第7回 秋山延彦の愛車「トヨタ アルテッツァ編」
■第8回 “謎の男”が駆る「スバル インプレッサWRX STI編」
■第9回 「三菱 ランエボVI トミ・マキネンエディション編」
■存在感を放つリトラクタブルライト
トヨタ スプリンタートレノ(AE86型)(1983-1987)/全長4350×全幅1770×全高1405mm、エンジン:1.6L 直列4気筒DOHC(130ps/15.2kgm)、価格:108万7000~156万3000円
ブームを通り越して伝説となったクルマがある。
デビュー当時は新しいメカニズムを搭載したものだったが、時代の経過とともに、復古的で古色蒼然とした存在に見られるようになり、さらに時を経て、いつしか若者の気持ちを代弁するようなクルマとなった。
4代目となるAE86型スプリンタートレノは、経済性とパーソナル性を備えた大衆セダン「スプリンター」の2ドア&3ドアモデルとして1983年に登場。
現代のスポーツカーよりトレンドライクで、誰にでも扱いやすい軽量スポーツカーだった。駆動方式は、FF(前輪駆動)を採用したセダンに対して、2ドア、3ドアモデルではFR(後輪駆動)方式が採用されていた。
当時としては低くスポーティなスタイリングで、朴訥とした感じのフロントフェイスから、ウインドウが大きく開放的なサイドをへて、キャッチーだがスパルタンな雰囲気のリアハッチバックへと繋がっていく。当時、同車には2ドアのノッチバッククーペも設定されていたが、『頭文字D』が選んだのは、よりスポーティ志向の3ドアハッチバックだった。
写真はカローラレビンの3ドア。トレノと同じく搭載されるのは、4A-GEU型の1.6Lの4気筒DOHCエンジン。スポーティな味付けながら低燃費で、メンテナンスのしやすさも特徴だった
全体的にスムーズな直線基調で構成されていて、汚れなく清廉な印象を受けるデザイン。だが、突出した印象のなさが感じられつつも、やはりリトラクタブルライトはダイナミックだ。
不自由さの代償を払って手に入るのが美しさであるならば、このリタトラクタブルライトはまさにそれ。このライトなしに、後年の“ハチロクブーム”は成立しなかっただろう。
■作中で初めて羽が生える時
『頭文字D』のバトルは、基本的にはトレノより優れた性能を持つマシンに対して、劣勢を覆す戦いでカタルシスを得るという構造になっている。
今回の相手もトレノとは4世代ほど異なるS15型シルビアということで、同じコンパクトFRというジャンルだが、戦闘力は確実に劣勢だ。作中でケンタも「曲がる 止まる 加速する っていう3つのバランスは藤原のハチロクより確実に上だと思います」と言っている。
しかし、トレノのドライバーである藤原拓海は、この物語終盤にきて、天才的なドラテクを神の領域まで昇華させている。結論から言ってしまうと、後追いでスタートしたS15シルビアがトレノを追い抜くことはない。
では、この勝者のわかっているバトルにどんなドラマが見られるのか。それは同作において初めて、トレノの「羽」が視覚的に表現されるシーンが登場するという一点に尽きる。
バトル序盤、霧のなかでバトルを見学していた乾信司が、「羽がある‥」「鳥みたいな‥白い羽だよ‥」とつぶやき、その言葉どおりに片鱗が見えてくる。そして終盤のブレーキングバトル時に、「バシュ」という効果音とともに、大きな両翼がその姿をはっきり表すのだ。クルママンガとしては実に新鮮な演出で、このバトルの魅力を高めている。
ではこの「羽」の意味とはいったいなんなのか。
■本能的な喜びを感じられる走り
新車時期を過ぎて、『頭文字D』ブーム後に初めて試乗した筆者のような半可通でも、この「羽」は体感できた。とにかく操作性が高いのである。軽くて、ケツを振り回せて、コントローラブル。軽量FRスポーツの見本のような動きをする。当時の安全性能を考えると、若干無鉄砲な感じにも思えるが、インタラクティブ・カーとして、実によくできていた。
足まわりはバタつく感じだったが、それなりにアクセルを踏んでいけば、この感覚が逆に心地よく、なんとも快適に感じられてきて、ずっと乗り続けていたくなる。ただハンドルを握っているだけで楽しかった青年の頃の魂を解き放たれるのだ。
もしかしたら、このクルマのハンドリングや走行感覚には、「1/fゆらぎ」のような、人が本能的に感じる喜びが存在するのかもしれない。
さらに同車は、(現代の基準からすれば)スペック的に乏しい内容ゆえ、チューニングの余地がかなりあり、オーナー各人の好きな解釈ができて、自身と重ねやすい。テクノロジーの進化によってクルマに搭載可能となったハイテク装備は人の興奮を生み出すものだが、一方で、身近な存在、思い通りになる存在への興奮も確かにある。
想像と近い感覚の素晴らしい走りを味わえること。これが、作中でトレノに生える「羽」の説得力となっている。いうなれば、このトレノというクルマは、存在自体がひとつのリアルな物語なのである。
縦横無尽に操れて、自由にいじることもできるから、一台一台に豊かなドラマが形成される。だからこのクルマは、人間的で、感動的なのだ。