1人の青年がクルマと出逢い、その魅力にとりつかれ、バトルを重ねながら、ドライバーとしても人間的にも成長していく姿を綴った『頭文字D』は、日本中のみなならず、アジア各国でも賞賛を浴びた、クルママンガの金字塔である。

当企画では、同作において重要な役割を果たし、主人公・藤原拓海にさまざまな影響を与えたキャラクターにスポットを当てるというもので、ストーリー解説付き、ネタバレありで紹介していく。

今回は、主人公・藤原拓海を峠バトルのステージに引き込んだ人物にして、物語前半の名バイプレーヤーとして登場した池谷浩一郎を取り上げていこう。

文/安藤修也 マンガ/しげの秀一


■池谷浩一郎はどんな人物?

主人公である藤原拓海が所属する「秋名スピードスターズ」のリーダーであり、拓海やイツキから慕われる兄貴分的な存在。

「秋名スピードスターズ」は、秋名山をホームとする走り屋集団で「秋名山最速」を自称しており、池谷は親友の健ニとともにチームを発足・運営している。愛車はライトチューンが施されたS13型シルビアである。

職業はガソリンスタンドの店員で、21歳の若さながら、店長の立花から信頼されている様子もうかがえる。作中では、拓海と出会い、走りの道へ誘うと同時に、拓海の成長を見守っていくことになるが、そのドライビングテクニックは、天才である拓海とは比較にならないほど“普通”レベルであり、物語のスタートから後塵を排している格好でもある。

ちなみに、初めて拓海が運転するハチロクの助手席に乗せてもらった際は3つめのコーナーで失神してしている(笑)。

池谷の性格、印象といえば、真面目で人格者。ただしクルマに関してはアツいものを持っていて、「地元の意地がある」と赤城レッドサンズの挑戦を真っ向から受けたり、拓海の父である文太に師事を乞うなどしている。自身のミスからクラッシュするなど、はっきり言って実力不足ではあるが、心意気は実に清々しいクルマ好きな若者である。


■ナイーヴな男の恋愛模様

ガソリンスタンドの店員というだけあって、池谷はクルマのメカニズムに詳しく、拓海にアドバイスをすることもあった。そして、このメカに強いという素養が、ひとつの出会いにつながることになる。故障したクルマを修復することで、佐藤真子から見染められることになるのだ。

ただし、ことカーライフに関しては人生を謳歌している池谷だが、恋愛に関する部分では非常にナイーヴな青年である。佐藤真子は、恋愛偏差値の低い池谷ならずとも、男子なら誰もが恋心を抱いてしまうような天下無双の美人。釜飯屋の看板の下で、彼女の煌めくようにキュートなルックスを目に焼き付けた池谷は、出会いから発展、そして自爆をしていくことになる。

真子とのドライブデートでは、「運転がうまそう」、「安全運転」などと言われ、男として自信を高める池谷。その先の期待とは裏腹に、真子が碓氷峠最速と言われるシルエイティのドライバーだと知りショックを受ける。さらに真子から、走り屋をやめる前にハチロクとバトルをしたい、一方で池谷にバージンを捧げたいと告げられ、いっそう深く悩むことになる。

無精ヒゲが見られる老け顔とはいえ、池谷も21歳の青年である。ありあまるリビドーと拓海を含む仲間たちへの誠実さとのはざまで葛藤しながら、物語はハチロクとシルエイティとのバトルへ繋がっていく。

拓海に敗退した真子は、走り屋引退を決意するとともに、水着のグラフィックがゴキゲンに装飾してくれているプールのシーンで、改めて池谷にバージンをもらって欲しいと、その晩の待ち合わせの約束をする。

人生最高の時を迎えようという喜びの一方、漠然と登場した(真子の憧れであった)高橋涼介という存在への不安、そして21年間彼女なしだった経験のなさからくる鬱屈とした感情は、池谷に逃げの姿勢を生み出してしまう。彼は彼女への気持ちを謳歌するのではなく、自分への自信のなさから、群馬へ敗走してしまうのだった。


■クルマ好き青年の現実を素描

『頭文字D』がカーバトルマンガとして若者へのクルマ人気復権の機能を果たしていながら、これだけ恋愛模様をしっかりと描ききっているのは、なによりエンターテインメントとしてのマンガの骨格を持つからに他ならない。

この後の拓海と上原美佳との恋愛にしても、しげの先生は見事なバランス感覚と絶妙なチューニングで、クルマとラブストーリーを描き切っているのだ。

今回の池谷と真子の話にかぎっていうなら、青春映画の大傑作『卒業』のようなロマンティックな結末を想像させておきながら、極めてドライなラストを迎える。池谷というひとりのクルマ好き青年の下半身グラフティにはならず、はからずも若者たちの感情がワンパッケージに詰め込まれ、その等身大の現実が巧みに素描されている。

池谷と真子の思いが報われなかったが、この先も緻密な構成によって、若者たちの物語は力強く展開していくことになる。

拓海が「プロジェクトD」のメンバーになって以降、池谷は物語後半で登場回数が激減してしまうことになるが、世の草食系クルマ好きたちが、この時の池谷の姿を見て、現実の恋愛に正面からぶつかっていったに違いないと、そう思いたい。


1話丸ごと掲載(Vol.63「ジ・エンド・オブ・サマー」)

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