1人の青年がクルマと出逢い、その魅力にとりつかれ、バトルを重ねながらドライバーとしても人間的にも成長していく姿を綴った『頭文字D』は、日本のみなならず、アジア各国でも賞賛を浴びた、クルママンガの金字塔である。

当企画は、同作において重要な役割を果たしたさまざまなキャラクターにスポットを当てるというもので、ストーリー解説付き、ネタバレありで紹介していく。

今回は、総集編ということで、物語全編を通してみてわかった人物たちの生き方、関係性、そして成長などについて紹介していこう。

文/安藤修也 マンガ/しげの秀一


■『頭文字D』が名作となりえた理由


言わずもがな、『頭文字D』は日本のマンガ史上に燦然と輝く傑作だ。「クルママンガ」というジャンルのオールタイムベストに挙げる人が多いだけでなく、AE86型スプリンタートレノというクルマを神格化し、世界トップ企業であるトヨタに影響を及ぼし、新型スポーツカーに「86」という車名がつくという前代未聞の偉業をも成し遂げた。

“公道でのカーバトル”という、ある意味バイオレンスな部分を主題に取り上げているため、連載されたのが現代であれば、もしかしたら、「反社会的行為」「暴走礼賛」などと批判する人もいたかもしれない。もちろんそういった面もあるが、それでもこの作品のアンビバレンツな魅力が、実際に峠を走っていた若者だけでなく、クルマを運転しない人を含めた幅広い層に支持されたのは、いったいなのはなぜだろうか。



筆者は『ヤングマガジン』連載時に全編を読み通しており、今回一連の記事を書くにあたって初めて単行本を全巻揃えたクチなのだが、いや、実に面白い。連載期間が18年にも及んだこともあって、この作品の世界観を整理しきれていなかったが、1回目より2回目、2回目より3回目と、繰り返し読めば読むほど、確実にこの作品の濃さを堪能できた。

結論から言うならば、一番の魅力はキャラクターであった。登場人物が多過ぎて覚えきれないという人もいるかもしれないが、この多過ぎるくらいの人物たちが、どれも本当に魅力たっぷりなのである。

藤原拓海、高橋啓介、高橋涼介といったスターキャラを生み出したことはもちろん、男臭いキャラやカッコ悪いキャラもいるし、トンマなキャラも、だいぶアナーキーなキャラもいる。名作マンガの基本ではあるが、名キャラの多さは枚挙にいとまがなく、それは現代において数えきれないほどの二次創作物が存在していることからも明らかだ。

そして、この作品に描き出されているのは、このキャラクターたちの、クルマに振り回される悲哀であったり、クルマの運転の仕方やチューニングの仕方、そして愛し方である。それは例えば、メカには強いが巧みなドラテクは持ち合わせていない池谷浩一郎であったり、プロドライバーであることに矜持を持つ舘智幸、4WDやMRに心頭している小柏カイ須藤京一、自身の走りの哲学を持つ池田竜次など。

彼らの行動原理は「誰が一番速いか」という部分にあり、クルマ中心の価値観やセリフを放つあたりに共感を持った読者も多いに違いない。

さらに、彼らが狂気に近いエネルギーを持ちながら峠を走っている感が伝わってくるし、バトル中の2人のドライバー(時には仲間やギャラリー)の心情描写や台詞を通して、性格や関係性、世界観までもがありありと浮かび上がってくる。時にはほとんどセリフがない寡黙なバトルもあるが、そういった重い空気感がまた、苦しくも渋いリアリティを感じさせるのだ。


■作品全体に描かれた「家族愛」というテーマ

クセの強いキャラクターを数多く生み出した一方で、しげの先生は、この人物たちがつむぎ出す人生哲学や家族愛といった重厚な人間ドラマもしっかりまとめ上げている。家族愛と聞いて、まず一番に挙げられるのは、藤原文太と藤原拓海による父親と息子の物語だろう。

ドライバーとしても人間としても成長し続ける息子に、時にはアドバイスをし、時には静かに見守る。楽しみながらも、したたかに、そして愛情を持って息子を眺め続ける文太の心中にあるのは、親子愛以外の何物でもない。

また、高校3年といういろいろな意味で多感な時期でもある拓海は、反発心を胸に抱えながらも、天才的なドラテクを持つ父親への尊敬を隠さない。クルマにのめり込むようになり、父に近づこうとあがき続ける姿からも親子愛が感じられるのだ。

主人公である拓海にとって最大のライバルとして立ち塞がり、後に最強の仲間となる高橋涼介、高橋啓介の兄弟も、この作品では家族愛を披露している。華々しくも孤高の存在である兄、異様な存在感を放ちながら頂点を目指す弟、まったくベクトルの異なる性格でありながら、お互いを一番の理解者と認識し、バトルごとに協力し、頼りにし合う2人の姿からは、兄弟愛の味わい深さはもちろん、崇高ささえ感じられる。

「チーム」を「家族」と例えるならば、登場人物たちが仲間たちと協力して奮闘する姿も、家族愛に溢れたシーンと言えよう。作品初期の拓海はともかく、プロジェクトDが結成されて以降のバトルでは、走り屋の「チーム」という組織の連動がリアルに描かれてる。読んでいるこちらとしても、仲間を思う気持ちに心を動かされるし、それぞれのチームに骨格と歴史があって、チーム戦では芳醇な群像劇が繰り広げられるのも興味深い。



■キャラクターたちのクルマ愛に学ぶ

実際、1990年代当時の峠の若者たちの一部には、周囲の冷たい視線や非難から逃れ、必然的に峠に集まってきて活動していたような部分があった。それだけに彼らのクルマ愛は深く、『頭文字D』においても同様に、登場人物たちの深いクルマ愛が描写されている。時には愛車を壊して悲嘆に暮れる姿もあれば、そのメカニズムの優秀さを豪胆にアピール姿だって見られる。

作品を通してバトルシーンを振り返っても、マンガ的ダイナミズムに満ちた場面の宝庫だし、何より登場人物たちが運転する姿はいちいちカッコいい。RX-7はもちろん、カローラレビンもカプチーノも、キャラクターらを彩る愛車たちが、どのクルマもドライバーとセットでいい味を出してて、古いクルマがなんでもいいとは思わないが、現代のクルマの数倍はカッコよく見えるから困ってしまう。

余談だが、作品の舞台が公道だからこれまた面白い。これがサーキットだったら読者たちはあれほど熱狂しただろうか。ドライバーたちがヘルメットにレーシングスーツでバトルをするのではなく、それぞれのキャラクターや性格が表れた重い思いの姿で運転しているのも親近感があるし、実際に存在しそうな(する?)峠道を舞台に、それぞれの思惑が交差するバトル展開もどこかリアルでスリリングである。

もちろん、単にバトルシーンだけを切りとっても楽しめるのがこの作品の素晴らしいところだが、登場人物のルックスや走り方、ホームコースなどからは、各キャラの日頃のカーライフさえ垣間見えるところが、作品としての面白さに拍車をかけている。最もそれがわかるのは、当然、主人公の拓海だが、彼の日常生活はもとより、クルマに興味がなかったのに、走りの資質に目覚め、次第に最強のダウンヒラーへと変貌していく姿からは、カタルシスを感じられる。

そして、そんな拓海にとってのラストバトルは非情な終焉を迎える。クライマックスはハチロクのエンジンブローであり、その場面は、残酷なはずなのに美しい、マンガ史に残る屈指の名シーンである。

しかし後日、拓海は、あの時「ハチロクに何か意思みたいなのがあって‥‥」と語っている。クルマに意思がある、これは本当にクルマを愛したからこそ言えるセリフである。まさに主人公が、愛車との理想の関係を築けた瞬間、このクルママンガの不朽の名作は終わるのだ。


※この記事はベストカーWebの記事を再編集したものです。

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